イギリスの哲学者ジョン゠スチュアート゠ミルは、
満足した豚であるよりも不満足な人間であるほうがベターである
という言葉を残しました。
ベターである、というのはおそらく精神的な幸福のほうが質的にレベルが高いという意味だと思います。
しかし、私自身は、日々悩みが絶えない人間よりも、
何も考えずに毎日おいしいごはんを食べられる豚のほうが幸せそうだなと思ったりします。
幸福に「質」はあるのか
高レベルな幸福のほうが高尚でよいものなのだ、というのは負け惜しみのように思います。
実際、何も考えずに毎日テレビを見てだらだらしている人たちは、
特に困ったこともない、テレビも面白い、会社へ行けばやることも決まっている、何も考えなくてもいい。
楽だよなあと思います。
そりゃ贅沢はできないかもしれないし、病気にかかって長生きできないかもしれない。
でもその制約の中で日々を特に悩むこともなく生きていく。
それはそれで幸せのひとつの形だよな、と。
そこへ来て、それは質の低い幸福なんだと言うのは、負け犬の遠吠えにすぎないのではないかと思ったりします。
アメリカの心理学者マズローは、人間の欲求を生理的欲求・安全の欲求・社会的欲求・承認欲求・自己実現欲求の5段階に分け、
自己実現欲求をのぞく4つの欲求を欠乏欲求としてまとめました。
欠乏欲求が十分に満たされた経験がある人は、欠乏欲求が満たされなくてもある程度耐えることができるようになり、
自己実現に力を注ぐことができるようになります。
しかし、自己実現の過程ではさまざまな困難が現れるので、悩みや不安は絶えません。
それに自己実現欲求は終わりのない欲求です。
一方で、自己実現にそこまで力を注ぐことをしない人は、欠乏欲求だけ満たせばいいわけですから、
そこまで考えたり悩んだりすることがありません。
「自己実現欲求のほうが高次の欲求だ。自己実現を達成するほうが高次の満足を得られるのだ。」と言うのは自由です。
確かにそういう人たちのほうが立派に見えるし、偉いと言われるかもしれませんが、
実際に幸せだと感じているのはどちらなんでしょうね。
そう簡単には変われない
豚のほうが幸せそうだから、明日から何も考えないようにします、といったところで、
そう簡単に変われるはずはありません。
私もずっとだらだらしていると、何かやらなきゃ、時間が無駄だ、と思ってしまって落ち着かないことがよくあります。
逆に欠乏欲求で生きている人に対して、明日から自己実現を目指しましょう、といっても、
どうすればいいのかわからないと思います。
結局のところ、幸せの形は人それぞれということなのかもしれません。
お読みいただきありがとうございました。
では