楽を求めると不自由になる
もし泉の中から女神様が出てきて、あなたが欲しいのは自由か、それとも楽かと問われたら、
両方欲しいと答えるのは正直でたいへんよろしいのですが、
2つを同時に手に入れることは簡単ではありません。
自由になりたいと思う人は多いですが、自由であることと楽であることは相反するものです。
自由であることが適する人とそうでない人がいるのです。
今回は自由と楽の関係について考えてみたいと思います。
人類の歴史の中で
近代以前の時代、人々は政治的・宗教的共同体に属して生活していました。
しかし共同体が崩れ去ると、人々は個人として生活をしていかなければならなくなりました。
共同体からの解放によって、個人は自由を獲得しました。
時代が下るにつれて人々は様々な政治的・宗教的・社会的な束縛から解放され、現代ではかつてないほどの自由と権利を個々人が与えられることになりました。
個人が共同体の強い結びつきの下で生活していた前近代と、
個人が前近代と比べ物にならないほどの自由を手に入れた現代。
言葉だけを見ると後者のほうが幸せに感じるかもしれません。
しかし、当然ながらものごとにはいい面と悪い面が存在するものです。
人々が共同体に属していた時代、個人は共同体の下で与えられた立場や職務をこなしているだけでよく、それだけで自分の価値が保証されました。
彼らにとってその共同体は世界であり、その小さな集団内部のことだけを考えていればよかったのです。
支配され管理されることには楽な側面もあります。
そこに自由が与えられると、人々は不安を感じることになります。
何をしてもいいと言われると、何をすればいいかわからなくなるのです。
これは、突然宝くじを当てた多くの人が大金の使い道に迷うのに似ています。
結び付きの上で成り立っていた楽な生活を失う代わりに手に入れたものは、自由や権利という名前の扱い方がわからない代物でした。
自由ゆえの不自由
現代でも、組織に属するか個人で生きていくかという意味で、同じような構図があります。
「会社などの組織に縛られずに自由に生きたい」という考え方とは別に、「いろいろ面倒なことを代わりにやってくれる会社などの組織に属して楽に生きたい」という考え方もあります。例えば、フリーランスのほうが会社員よりも自由で楽だというイメージがあるかもしれませんが、
会社員なら普段他の部署がやってくれるような経理や営業などを、すべてを自分ひとりでやらなければならないので、
決して楽ではありません。
自由や権利と同時に、責任や義務も負うことになるのです。
あるいは、自分でウェブサイトを作ろうと思ったとき、
簡単に作れるサービスを使うことで楽に作ることができますが、たいていの場合それでは自由にカスタマイズをすることが難しいです。
そこで自由度のより高い方法で作ることにすれば、多くのことを勉強しなければなりません。
最も自由度の高い方法は、0から作ることです。
これは決して楽ではありません。
楽(ラク)と楽しい
同じ漢字を使ってはいるものの、楽(ラク)と楽しいの親和性はあまり高くありません。
本当に楽しいことは、楽して得られるものではないのです。
ヒトは苦労して手に入れたものに大きな価値を置くものです。
自由を求める生活に適している人とは
もしあなたが、
- 制限を好まない
- 本当に好きなことをやりたい
- 一度きりの人生を思いっきり楽しみたい
- そのために楽をするつもりはない
- 自分のことは自分で責任をもってやり切れる
このようなことを考えているのなら、自由な生き方が適しているといえるでしょう。
逆に、
- 楽に生きたい
- 危険を冒したくない
- 不安定な生活は嫌、人生に変化を求めない
- 自分で責任を背負ったり、面倒なことをしたりしたくない
- 生きていれば楽しいこともあるし、とりあえず生きられるならそれでいい
このようなことを考えているのなら、組織に属するほうがいいかもしれません。
これは良い悪いということではなく、人によって考え方は違うので、正解というのはありません。
読んでくれてありがとうございました。
ではまた