言語と音声
語学を学んでいると、たいていの言語は最初に発音を覚えるところから始まります。
それはもちろん話したり聞いたりするのに直接的に役立つのですが、読み書きを学習していくうえでも重要なことです。
それに、発音を学ぶだけでも、自分や自分の話す言葉を相対化するのに役立つことがあります。
ヒトの調音の器用さ
最近中国語の発音の勉強を始めたのですが、なかなかに苦戦しております。
例えば
で b と p というのがあるので、日本語の「バ」と「パ」のまま発音したら、ネイティブに
「ba はそんな強くないよ!」と言われて、何回もやりなおしました。
発音を聞いてみると思ったより「パ」寄りだったんですね。
それで pa はもっと息の多い音。
今まで英語とフランス語をかじっていましたが、
このときはじめて私の中で、「バ」と「パ」の価値観が変わりました。笑
実は中国語や韓国語・朝鮮語では、こういった音は息の強さで区別されます。
(中国語だと有気音と無気音、韓国語・朝鮮語だと激音と平音と濃音というそうです。)
日本語や英語では有声音、無声音といって、声帯を振動させるかさせないかで音を区別しているそうです。
中国語の話をもうひとつしておくと、ピンインでは zh ch sh r と表記される、日本にはない音があります。
しばらく zha と cha が分けられなくて苦戦しておりました。
これも日本の「ジャ」「チャ」と同じ感覚で済む話ではなくて、
そり舌音と息の強さによる区別に慣れないうちは、発音し分けも聞き分けも難しいと感じてしまいました。
なにも難しいのは子音だけではありません。
フランス語の母音は口腔母音と鼻母音をあわせると15個前後あるそうです。
舌の位置や口の開きの広さを微妙に変えることで音を区別しているんですね。
日本語は母音が5つしかないので、広い e[ɛ] も狭い e[e] も同じように聞こえてしまうし、発音上もわずかな口の形の違いに思えるのですが、
ネイティブの人たちには全然違うよ!と言われるかもしれません。
こう考えていくと、ヒトの調音ってすごく器用なことをしているんですよね。
これほどまでに舌や口や呼気を自由に扱えるものは多くありません。
せっかくヒトに生まれたからには、この恩恵をできうる限り享受していきたいと思います。笑
自言語の相対化
先程お話したように、他言語を学ぶと、今まででは想像もつかなかったような調音方法に触れることになります。
それはその民族や文化の気質を表していたりするんじゃないかなと思うんですよね。
寒いところでは熱を奪わないような言語が流行るんじゃないか、とか。
そうやっていろいろ考えるうちに、自民族や自文化を客観的に見ることができるようになります。
いろいろな価値観に触れるうちに、生き方ってこれだけじゃないんだと気づけるし、気持ちが落ち着きます。
最初は聞いて話すことから
生まれたてのころは、誰も何語も話したり理解したりしません。
最初に「言語学習」が始まるのは、他者の声のリスニング(ヒアリング)です。
それをまねて話して、まねた結果が周囲に歓迎されたときに、その発音を覚えることになります。
大人になってから言語学習する場合も、まずは発音を学びます。
モデルの発音をよく聞いて、それをまねることで発音を覚えていきます。
いきなり読み書きから始める方法は見たことがありませんが、これには理由があるはずです。
読み書きの前段階としての発音学習
英語を読める人は、キリル文字やアラビア文字、インドの文字を使う言語よりも、
ラテン文字を使う言語のほうが親しみやすく感じると思います。
それは文を曲がりなりにも「読める」からです。
厳密に正しく発音ができるわけではなくても、おおかたは予想がつきそうなものだから、とっつきやすいのです。
日本人なら、中国語学習に対して抵抗は少ないかもしれません。
同じ文字体系である漢字を使っているから、全然発音は違っても「読める」し、意味もだいたい予想できるからです。
(その意味では現代中国語よりも漢字の発音が日本のものに近い
のほうが親しみやすいかもしれません)文を読もうとするとき、私たちはしばしば音声情報に頼って書かれた内容を理解しようとします。
母国語の文章を読むときでも脳内ボイスが流れます(人によるかもしれません。私は流れます笑)し、
ある難しい一文を理解しようとするときは、何回かその一文を口ずさんでしまいます。
書く時も同様です。
私たちは読み書きするとき、視覚情報(点や線の集合体)ではなく、音声情報から、文や単語の意味を取り出します。
音声は文字と意味を結びつけるのに重要な架け橋としての役割を果たすというわけです。
言語学習において、音声はかなり重要な立ち位置にいると思います。
学校の勉強では読み書き(特に読み)が多くのウエイトを占めていますが、
そのような活動も音声という基盤の上に立っているものです。
今後も言語を学ぶときは発音をおろそかにしないようにしたいと思っています。
最後までお読みいただきありがとうございました。
今回はこのへんで、また~