心身二元論でジェンダーを考えてみる

 

心身二元論という「身体と精神は別物であり、身体は精神の容れ物にすぎない」という考え方があります。

ここではジェンダーの問題を心身二元論とともに考えていきます。


身体 ≠ 心 ⇒ 身体の性 ≠ 心の性?

心身二元論に基づけば、身体の性(もって生まれた生物学的性別)と心の性(自認としての「私」の性別)は

まったくの別物であってもなんらおかしなことはありません。

単純に考えれば半分の人は一致しているし、もう半分は一致していないのが自然です。

身体の性と心の性が一致している必然性は一切ありません。

一致している人が多数派なのが不思議なくらいです。

雄々しい女性や女々しい男性は別に珍しくないし、本来なら半分ぐらいそういう人はいると思っています。

(そもそも雄々しい/女々しいという言葉自体が変なんですが)

それでも周りからいろいろ言われるのが嫌で我慢している人って結構いるんじゃないかな。


あと、そもそも心の性というのは存在意義さえありません。

あっても男女のどちらかに二元的に分類されることはありえません。

それなのに、「私の身体」の性を見てそれ前提に「私」を扱おうとするのは本当に馬鹿馬鹿しい話です。

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身体の性 ≠ 心の性!

ということで、一致していなくても全然おかしなことではないので、堂々としていいと思います。

身体は精神の器にすぎない。たまたま身体の性が「私の」と一致しなかっただけ。

そもそも器を選んだのは自分じゃないよね。

植物が生える場所を選べないのと一緒です。

日当たりが悪いところに生えても別に日光を求めて伸びたらいいじゃないですか。


お読みいただきありがとうございました。

では👋