「狭すぎない」被修飾語を使うようにしている

 

自他問わず、私は普段から 被修飾語 形容詞や副詞などの修飾語によって説明される部分 の選択には気をつけています。

被修飾語が明確になりすぎないようにしているのです。

そのような表現はときにはとても便利なのですが、それが不適切な働き方をする場合もあるからです。


言葉のもつ力

あるものごとは、はじめは液体のように流動的で不定形をとります。

それを言葉という枠で囲むことで、ものごとは形を与えられます。

しかし、そのときに枠からはみ出してしまう部分も少なからず生じます。

それでも言葉はものごとを表現するのにすごく便利だから、いろんなものごとを言葉の枠で囲むことになりました。

多少異なる複数のものごとも、言葉の柵によって分断された結果同じ枠に入ることになり、

それらのものごとは言葉によって同じ形を与えられることになります。

形が同じようなものは、おおかた同じような性質をもっていると、誰もが考えてしまうところに、

言葉の利便性と危険性が潜んでいるように思います。

利便性

言葉を与えられるだけで、それに性質を一瞬で付与することができるため、思考の過程を省略することができます

例えば「本」という言葉を言うだけで、会話相手の頭の中に自分の頭の中にあるものと完全一致はしないけれど似たものを浮かばせることができます。

それをいちいち「文字とか写真とかが書かれた紙が何枚かまとめてとめられているのがしっかりした表紙や背表紙で挟まれてるやつ」とか言っても、時間はかかるし伝わりにくいし効率が悪いです。

あるいは、「犬」というだけで、多くの人の頭の中には、あのふさふさの毛が生えた従順な哺乳類が思い浮かぶのです。

「ジャーマンシェパード」なら、黒い毛の生えた鋭い顔つきの特別忠誠心の強い犬がイメージできます。

危険性

しかし、前述のように本来ものごとはすべて完全に言葉の枠にはまりきるとは限りません。

その形は言葉によってはじめて与えられたものだからです。

もっと言うと、はじめ不定形だったものごとが与えられた枠に合わせて、型に流し込まれた液体のように変形してしまうこともあります

「その言葉がぴったりだ!」となった瞬間、ものごとははっきり輪郭を持った形を与えられますが、それはもともとのものごとと必ずしも合同であるとは限りません。

言葉の枠に合わせて変形するものごと

言葉が当たり前になると、あるものごとはその形で「あるはずだ」「あるべきだ」というようなステレオタイプ(紋切り型)が広まります

例えば、さきほどの「犬はふさふさの毛が生えた従順な哺乳類」という記述ですが、

ステレオタイプといえない部分は「哺乳類」だけでしょう。

毛がない犬や反抗的な犬は「普通じゃない」「おかしい」などと人々は考えることになります。

警察犬にも用いられ、一般的に服従心が特に強いイメージがあるジャーマンシェパードであって反抗的なら、より強烈な「おかしさ」を感じるでしょう。

ところで、この場合の「普通」というのはステレオタイプにあてはまる場合のことを指していますが、

人によって「典型的な」犬というのは当然異なります。

犬と言ってチワワを思い浮かべる人もいれば、それはブルドッグ、プードル、ポメラニアン、レトリーバー、あるいは柴犬かもしれません。

社会で共有されるステレオタイプもあるけれども、個々人がもつ固有のステレオタイプも存在するということです。


範囲を広げた言い方をする

前述のように「反抗的なジャーマンシェパード」という言葉は、そのシェパードに対して強烈な奇異性を印象づける危険性があります。

そのシェパードはきっと自己中心的で貪欲で、おもちゃを噛みちぎってぐちゃぐちゃにし、いつもうるさく吠えているんだろう、などというイメージを与えることさえあります。

もちろんそうではない「反抗的なジャーマンシェパード」がいるにもかかわらず、です。

そういう意図があってのことなら話は別ですが、

こういう状態で話を続けても、しばしばその強烈な印象が邪魔をします

では、ここで言い方を変えて「反抗的な犬」とすればどうでしょうか。

たぶん特別反抗的なオオカミに近い大型の犬種のことを言っているんだろう、と考えるかもしれません。

こういう場合はそこまで「変」ではないので、普通に会話を続けることができます。

ステレオタイプのために、こうやってちょっと工夫した言い方を考えることがあります。


客観的な言い方でも注意が必要

「反抗的な」というのは少々主観が混じった言い方ですね。

それと比べると「長い」「重い」というのは客観的に見えるかもしれませんが、

やはり人によって何メートルから長くて、何キログラムから重いのかは変わってきますから、主観的です。

では、「髪が胸ぐらいまである」ならどうでしょう。

随分と客観的な表現ですが、後ろにくる被修飾語によっては、社会が共有するステレオタイプから醸成された事実とは無関係な強烈な印象を与えることがあります

幸いなことに、こうした状況でも話し手は、被修飾語を範囲を広げた言い方に変えることができます。

だから私は、紋切り型の印象を付け加えるという意図がある場合を除いて、被修飾語に「男」「お兄さん」などの代わりに、

枠を広げた「人」を使います。

そうしなければ話がスムーズに流れていかない可能性があるからです。

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言葉の選び方ひとつで、聞き手に与える印象というのはかなり変わってくるものですね。

ご覧いただきありがとうございました。

それではまた👋