性別によって分けることは、人種や肌の色によって分けるのと同じことだ

 

人種や肌の色によって社会の中での待遇が変えられることがかつてはよく起こっていました。

程度の差はあるとはいえ、現在性別によって分けられる社会はこれと似ています。

この類推を考えると、性別分離の苦しみがわからない人にもわかりやすくなるのではないかと思います。


類似点

性別(オスかメスか)も人種や肌の色も、生まれつき決まっているもので、自分では決められないという点では共通しています。

社会が個人をその自分の意思によらない属性によって区別し、待遇を変えることは問題です。

男子と女子の制服が違うのは、黒人と白人の制服が違うのと同じぐらい不快なものです。

履歴書に性別を書くのは、履歴書に肌の色を書くようなものです。

性別で「~くん」「~ちゃん」と分けるのは、肌の色で敬称を使い分けるのと変わりません。

「あなたの性別を答えてください」は、「あなたの肌の色を答えてください」と同じぐらいの緊張感を持って問わなければなりません。

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そこで性別を問う必要があるのか?

仕事の応募、試験の申込、身分証明書の表記、アンケート調査…

なぜそこで性別を聞いたり書いたり必要があるのか?と思うものは数え切れないほどあります。

「性別」を「人種」や「民族」「肌の色」などに読み変えると、これがどれほど不自然で不快なことかわかっていただけますでしょうか。

試験の受験申込でなぜか性別を聞かれたときの不快感を想像できなくても、

試験の受験申込でなぜか肌の色を聞かれたときの不信感は想像できるでしょう。

身分証明書に不必要にも「肌の色:黒」と書かれていたら嫌な気持ちになるでしょう。

手続きで自分の人種が聞かれ、自分が「人種」で分類され参照されていることを知ったら、納得のいかない気持ちになるでしょう。

同じような不快感を毎日のように感じている人たちがいます。

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